あえて「尋ねない」心遣い 質問攻めはコミュ力と違う

コミュニケーション

はじめに

あなたは勤務先でコミュニケーションを取っていますか?

よほど仲の良い人とじゃないと、根掘り葉掘り聞いちゃうのはどうなの?ってことについて面白い記事がありましたので、その話を今日はしたいと思います。

若い読者に向けたメディアでしばしば目にする記事に、

「相手に質問することでコミュニケーションをスムーズに」

といったたぐいのものがあります。たとえば、

「相手の出身地を尋ねてみよう。故郷の話を問われて、悪い印象を持つ人はいない」

「休日の過ごし方を入り口に、相手の趣味を聞けば、さらに相手が喜び、その後の会話も弾むこと間違いなし」

といった具合。

でも、その一方で「問うリスク」、すなわち「質問すること自体が、むしろ配慮を欠くことになる懸念」についても考えておいたほうがいいです。

上の例で言えば、故郷での「失敗だらけの青春時代」など、思い出したくもない人だっていなくはないでしょう。休日の過ごし方や個人的な趣味など、「私」の領域には踏み込まれたくない人がいておかしくありません。

よほど仲の良い、信頼できる人じゃない限り、ある程度の壁を作ってすべて話さないというのがビジネスマンたるものだと思います。

話題の踏み込みすぎ、理由の掘り下げは要注意

むやみと質問を繰り出してくる相手のことを、「不快だ」「付き合いたくない」と感じて、ネガティブな反応を示す人は、少なからずいるでしょう。

「その服素敵ですね」「髪切った?」「そのバッグ、カッコいいですね」

この程度の問いは「気遣い表現」ともいえそうですが、話し手が調子に乗って、

「どこで買ったんですか? ブランドは何ですか? 値段はいくらしました?」

と矢継ぎ早に質問を繰り返せば、事情が変わってくるでしょう。ここまで聞いちゃうと、

「あたりさわりのない質問で、初対面でのぎこちないコミュニケーションを回避できた」

「コミュ力の優れた人だ」

などと前向きにとらえてくれる人より、

「居心地の悪い会話の場から抜け出したい」

と感じる人のほうが多くなってしまいかねません。

「頑張ってるか」にもパワハラのリスク

上司が部下を気遣ったつもりの、

「頑張ってるか」

の問いかけでさえ、一度や二度なら「ありがたい励まし」で済むかもしれませんが、度を超すと、逆効果になります。「問いかけ」は部下の精神的苦痛を生み、結果として「パワハラ行為」と受け止められてしまう心配すらあります。

特に最近は、パワハラに敏感になってきています。それはとてもいいことだと私は思います。だからこそ、より上の立場に立つ方は気を付けなくてはなりません。

気遣いを示すには、「質問することや問いかけることが有効だ」と勘違いするのは、危うさをはらんでいます。くどいぐらいに質問を重ねたり、個人の好みや思いにまで踏み込んだりすれば、かなりの確率で嫌われます。

一言で言えば、「うざい」んですね。

「連休は何をするの? 旅行とか? えー! どこにも行かないの? どうして?」

「猫飼ってるの? そうなんだあ。でも、なんで犬じゃないの?」

場をなごませるつもりで発した質問が、会話を促進して、豊かなコミュニケ-ションを生み出すとは限りません。逆に、尋ねられた側の口と心を閉ざしてしまうこともあります。どんな人にも「問わない気遣い」を求めたくなる場面があるものです。

何でもかんでも聞きまくればいいってもんじゃありません。人には誰だって話したくないことの一つや二つあります。

愛犬との悲しい別れ

とある事例をご紹介します。

Aさんは、3年前の夏のこと、当時飼っていた13歳のトイプードルが夏バテから体調を崩し、何度か危ない事態を迎えましたが、深夜の救急病院や近所の動物病院のお世話で持ちこたえていました。しかし、「その日」は訪れました。

Aさんは仕事先で打ち合わせをしていました。着信音を消したスマートフォンの振動を感じ、チラッと見たら妻。Aさんに電話することなど滅多にない妻でした。

「よほどのことがあったのだ。ひょっとして」――。周囲にわびつつ席を外し、電話に出たら、彼女が絞り出すように言いました。

「ルルちゃんが、死んじゃった……(泣)」

いきなり訪れた、最後の瞬間

Aさんは3時間ほどで帰宅すると、すでにルルは病院から自宅に戻り、居間に敷いた布団の上に、昼寝のような感じで横たわっていました。いつもと違うのは、白い花に囲まれていることぐらいでした。

妻はすでに落ち着きを取り戻しているように見えました。

「お昼前ごろ、体をガタガタ震わせ、苦しそうにしたから、慌ててルルを両手で抱っこして先生の所に駆けつけたの」

A「うん、うん」

「家を出て3分もしないところでルルちゃんが私の腕の中で『ガクン』と落ちる感じがあったわね」

A「んーん、そうかあ……」

無用の「問い」を飲み込む思いやり

「『先生の所までもう少し、頑張ろうね!』。ルルに声をかけながら病院まであと少しのところで、毎朝散歩を一緒に楽しんだ『犬友』で、顔見知りだった『~ちゃんママ』の姿が見えて」(注:散歩仲間同士は互いを「犬の名前+ちゃん+ママ」と呼んでいた)

A「ああ、あの穏やかなおばさまだよね」

「その時の私の形相を目の当たりにすれば、『どうしたんですか? 大丈夫ですか?』と問うほうが、むしろ普通だと思う。でもね、彼女は優しい目をして、いつも通り、『こんにちは』とだけ言って素早く病院のドアを開けてくれた。このさりげないやり取りが、あの時、すごく、ありがたかった」

Aさんは妻の気持ちが理解できました。

「どうしたの? 何があったの? ルルちゃん大丈夫?」。

もし、こんな感じで次々と問いを浴びせられ、その問いにいちいち答えていたら、目の前の悲しい現実がどんどん重みを増して、やがては受け止めきれなくなって、妻は冷静でいられなかったかもしれません。

過剰に取り乱さず、医師や看護士さんと話ができたのは、ママ友の気遣いのおかげだという妻はその時のママ友の「問わない配慮」に、「あの時は救われた」と今でも心から感謝しているそう。

あなたも勤務先に限らず、家庭でもそのようなことはありませんか。

私はこの記事を読んで思いました。妻に、「なんで?どうして?」って聞くことが多々あるんです。そういうことを沢山言われると、この犬のことじゃなくても、受け止めきれなくなって冷静じゃなくなるのかもしれません。

「問わない配慮」をありがたく感じる場面は確実にあると思います

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