組織に過剰反応する病理 自己チュー上司は反面教師に

はじめに

前例主義に凝り固まり、部下や同僚の手柄を邪魔する。保身をもくろんで、若手をつぶす。こんな輩に鋭く切り込んだのが『他人の足を引っぱる男たち』(河合薫著、日本経済新聞出版社)。

この方、一時期、テレビ朝日のニュースステーションに出てましたよね。

上役にすり寄り下に冷たい、やらない理由を探したがるといった点で企業の成長を邪魔するような連中の存在を「ジジイの壁」と名付けた河合氏へのインタビュー記事がありましたので、そちらも踏まえてご紹介します。あなたの勤務先にもこういう人いませんか?

20代にも女性にも「ジジイ」は存在する

不祥事が頻発する背景にも見え隠れ

「他人の足を引っ張り続けていると、ポジティブな考えが浮かびにくくなる」と助言する河合氏

もっとも、誰もが入社の最初から「ジジイ候補生」だったわけではありません。

建設的な組織改革や画期的な商品アイデアを提案した人もいたはず。

でも、分厚い「ジジイの壁」に跳ね返されてしまい、その繰り返しに疲れてしまう。

「その結果、ジジイ層の軍門に下ったケースが大半だ」と河合氏はみています。

「人間は良くも悪くも適応する生き物。会社に過剰適応する人が増えた結果、ジジイがはびこった」と河合氏は語ります。

筋を通して波風を立てるより、ずっと楽な生き残り方を選んだ結果がジジイ化だったともいえるでしょう。

これは身につまされますね。

私も、中途採用で、今の勤務先に採用されました。会社を良くしていこう、新しい風を吹かす戦力に、とのことで採用されましたが、いざ入社してみると真逆。

新しいことや改善点を指摘しても、結局何も受け入れられず、学習性無力感に陥りました。

ちなみに、「学習性無力感」は分かりやすく言うと、「何を言ってもどうせダメだから言わずにいようっと」ってことです。

この河合氏によると、これが、「ジジイ化」なのかもしれないな、と私は思いました。

 

ところで、「2018年はジジイの“当たり年”だった」と河合氏は振り返ります。

忖度(そんたく)が流行語になり、アマチュアスポーツ界を牛耳ってきた人たちが権力の乱用を批判されて立場を失いました。

立場の弱い人を苦しめる各種のハラスメントが毎日のようにメディアで報じられて大勢が驚き、あきれました。

「権力を振りかざすジジイの危うさに、世の中があらためて気づいた」と河合氏は組織の弊害を露出させた意義を認めます。

あそこまで露骨ではないにしても、自分が「ジジイ的思考」や行動パターンにむしばまれてはいないかと、我が身を照らす方向に思いを転じた人はどれぐらいいたでしょう。

多くの人は「異常で特殊な困った人たち」として、自分とは切り離して批判していた傾向が否めません。

実は、そこが組織のおそろしいところ。「本人が意識しないうちに、じんわりとジジイ化を進行させていく」と河合氏。

手抜き検査・工事や不適切融資、データ改ざんなど相次ぐ企業不正の背後にも、河合氏は「ジジイ層」の悪影響があると見抜いています。

「大ジジイ」がこしらえた前例を覆せず、法令順守を求める内部の声を抑え込んできたことが不正の長期化につながった可能性があります。

「社内の上(幹部層)しか見ようとしない態度は消費者や取引先の軽視につながりやすい」と河合氏。

コンプライアンスを空洞化させ、企業の存続すらおびやかしているんですね。

後輩とも激しく競争

河合氏は「組織スリム化」から副作用が生じたとも指摘。

風通しをよくして経営判断のスピードアップを狙ったはずの改革が、かえって「ジジイ層」への権力集中を助長したといいます。

昭和の昔と違い、誰もが横並びで課長、部長と出世できる時代は終わりました。

組織スリム化でポストは減りました。

年功序列が崩れた結果、入社同期だけではなく後輩ともポストを争う状況に追い込まれた会社も多いです。

 

「苦労してつかんだ椅子を簡単に譲り渡したくない。ましてや後輩に抜かれるのはまっぴらごめんだ」。

「年金制度が頼りないから、現役のうちに少しでも上へ行きたい」……。

こういった事情や気持ちが上役へ擦り寄る態度につながっていきます。

河合氏は岩盤を形成する「ジジイ層」だけではなく、その体制維持を許している「粘土層」にも厳しいまなざしを向けています。

積極的に手を貸すのは控え、自分の仕事に集中していても、実は病理のまん延に手を貸しているのです。

「当事者意識を持たない評論家的な態度や、我関せずといった距離の保ち方では、自分の成長を妨げているのと同じ」とみています。

うっとうしい「ジジイ層」とのかかわりを避け、労働力を切り売りして、プライベートの時間に生きがいを見いだすような身の処し方はあるでしょう。

しかし河合氏は「1日8時間の使い方としてはもったいない」と説いています。

「半径3メートルの革命」に挑め

「粘土層」に向き合うなら、まず彼らがなぜ身を固くしたのかを考えてみましょう。

理由はちゃんとあります。

それは何度も何度も「ジジイの壁」の強固さを思い知らされてきたからです。

例えば、斬新な発想の企画書を提出したのに役員会を通った段階では、見る影もないまでに骨抜きにされていたといったケース。

「やる気を失ったというような苦い体験は、発案者の魂を削る」と河合氏。

一方、憧れの先輩が冷や飯を食わされ、おべっか使いの俗物ばかりが出世していくのを見るにつけて、志はしぼんでいきます。

今さら取り巻き連中の輪に加わる気にもなれず、壁の外側にへばりつくという消極的な選択に落ち着くわけですね。

真正面から改革を唱えても「ジジイ層」が自己否定を許すわけもありません。

かえって居場所を失うリスクは小さくありません。

だが、河合氏は「全面的にあきらめてしまう必要はない」とささやきます。

むしろ、事を荒立てすぎず「ジジイ層」を刺激しないで、「半径3メートルの革命」を静かに進めるほうが成果を出しやすいといいます。

後輩に語りかけ、チームの仲間とあいさつを交わすといった、自分の声が届く範囲での取り組みから始めることを河合氏は勧めています。

上司にいちいちあらがっていては、厄介者扱いされてしまい、自分が損をします。でも、会社のいいなりになっていると、緩慢な「ジジイ化」が迫ります。

つまり、程よく折り合いを付けながら、自分の牙を自ら折ってしまわないよう「軸」を保つ意識が求められるわけです。

私は会社の言いなりになっていません。会社を最大限利用しています。何も考えない人とは一線を画しているという自負があります。かといって、別に上司にあらがっているわけでもありません。ただ、課としての雰囲気は微妙なところです。

河合氏は「10回に1回は、とことん踏ん張れ」と心あるビジネスパーソンの背中を押します。

逆に言えば、10回に9回は流れに任せて構わないわけですね。

これぐらいの頻度であれば、大人の振るまいと自分らしい骨っぽさを両立させやすいかもしれません。

「ジジイ層」のはびこった企業では、足を引っ張り合う行為が常態化しているので、斬新なアイデアはつぶされがち。これはまさに私の勤務先だなと思いました。

常にイノベーションを求められる現代企業にとっては、致命的ともいえる「残念な社風」と映ります。

その場合、転職が魅力的な選択肢になってきそうですが、自分が「小ジジイ化」していると転職の妨げにもなりかねません。

先の定義にあった通り、ジジイ化は「属性で人を判断し『下』の人には高圧的な態度をとる」という気質を帯びるので、転職先で求められるチームになじみにくくなってしまいます。年次がものを言わないフラットなチームでは、歓迎されにくいでしょう。

会社を利用して自分のキャリアを育てる

そもそも他人の手柄になりそうなアイデアをつぶすことにきゅうきゅうとする「あら探し思考」からは、転職先で期待される「即戦力」にふさわしいパフォーマンスを引き出しづらいもの。

「他人の足を引っ張り続けていると、ポジティブな考えが浮かびにくくなる」と河合氏は警告しています。

同じ会社で定年まで勤め上げる仕組みは「小→中→大」と至る「ジジイ出世」を支えてきたところがありますが、

転職を織り込んだキャリアづくりを前提にすれば、上役の顔色をうかがう必要もなくなります。

むしろ「会社を利用して、自分のキャリアを育てるという発想に切り替えていける」と河合氏。

上世代のジジイが退場するのを待とうと考えていると、

「経営判断にコミットできるようになる頃には、自分がジジイ化している可能性を無視できない」。

「会社員という病」は静かにむしばんでいくから、不断の感染チェックが欠かせない。

本書に挙げられた事例は、自分を振り返って、感染度を知るものさしにも役立ちます。

セルフチェックを怠らないようにすることは、将来の転職を見据えて、自分の「商品価値」を保つことにもつながるはずです。

健康社会学者(Ph.D.)、気象予報士、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸(ANA)に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。産業ストレスやポジティブ心理学など、健康生成論の視点から調査研究を進めている。著書に『他人をバカにしたがる男たち』『残念な職場』など。

他人の足を引っぱる男たち (日経プレミア)

著者 : 河合 薫
出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 918円 (税込み)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です